対人地雷全面禁止条約発効から20年
清水俊弘 JCBL代表理事
1999年3月1日に対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)が発効してから今年3月で20年となりました。オタワ条約ができて以来、世界の地雷問題は解決に向けて大きく進展しています。
■条約の着実な遵守による大きな成果
地雷使用国、生産国が大幅に減少*1、貯蔵地雷の廃棄、 埋設地雷の除去も着実に進められています。現在の条約 加盟国は164 ヵ国。地雷の禁止は世界の8割が求める国際 規範となり、残る32の未加盟国に対しても抑制効果をもたらしています。
かつてこの問題の解決には“天文学的な時間と費用がかかる”とされてきました。しかし、条約の成立とNGO による厳しい監視が功を奏し、2014年の第3回条約再検討会議で採択されたマプト行動計画には、“2025年までに全てを終わらせよう”という期限目標が設定されるまでになりました。
■忘れてはならない被害者への持続的な支援
地雷の使用は減ったものの、いまも世界各地の紛争にて簡易爆弾(IED)、簡易地雷(IM)などが多用されることで、こうした兵器による被害者数が急増*2していることにはしっかりと目を向けなければなりません。それと同時に、被害者の社会復帰に向けて適切な支援メカニズムの構築が必要です。
私たち地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)は、これまでカンボジアの被害者へのバリアフリートイレ提供、アフガニスタンでは義足での自転車走行訓練と郵便配達員としての雇用促進を、そして、一昨年からはミャンマーの僻地に暮らす被害者への義足提供を行っています。
ミャンマーでは、1999年から2015年までに3,693人*3と近年のアジアでは最も多くの被害者がいると推定されるにもかかわらず、支援がまったく足りておらず、義肢装具士は必要数の1/10ほどしかいません。本格的な調査を行えば地雷被害者数は世界一に上るとも予測されるミャンマーでの支援を通して、ミャンマー政府のオタワ条約批准を働きかけていきます。
■地雷なきアジア、そして地雷なき世界を実現するために
条約未加盟国の半数がアジア地域にある現状に鑑み、JCBLはアジアに立脚するNGOとして、ミャンマーの被害者支援を継続するとともに、韓国地雷対策委員会(KCBL)と協力し、南北朝鮮の軍事緩衝地帯(DMZ)の地雷除去問題にも目を向けてまいります。
今年11月には第4回条約再検討会議がノルウェーのオスロで開催され、マプト行動計画の目標期限である2025年に向けた新たな行動計画が採択されます。
条約発効20周年を機に、改めて地雷という無差別兵器が人の命や生活にもたらす問題を喚起するとともに、新たな被害者ゼロの早期実現と生存者への長期的な支援体制づくりに微力ながら力を尽くしてまいる所存です。
*1 ICBL/Landmine monitor 2018 国家としての地雷使用が確認されたのは未加盟国であるミャンマーの政府軍のみ。生産国については、条約未加盟国のエジプト、ネパール、イスラエル、アメリカを含む41カ国が生産を止めた。残り11カ国は(中国、キューバ、インド、イラン、ミャンマー、北朝鮮、韓国、パキスタン、ロシア、シンガポール、ベトナム)。
*2 2017年に7,239人の被害者が発生し、少なくとも2,793人が死亡した。被害者数が大幅に増加した2015年に続き、2016年、2017年の被害者数は1999年に9,228人の被害者を記録して以降、もっとも多いレベルで推移している。うち、簡易手製爆弾による被害者は2,716人、子どもの被害者数は過去最悪の2,454人を記録した。戦争中に使用されているにも関わらず、2017年の被害者の87%が市民である。
*3 ミャンマー政府の報告では1999年から2014年までに3,745人
クラスター爆弾の使用を直ちにやめてください
内海旬子 JCBL理事
2011年以降紛争が続くシリアの北西部、反体制派の支配地域にて、クラスター爆弾の使用が続いている。2019年4月26日以降、シリアとロシアの合同軍は、連日の空爆を実施しており、約300万人いた市民の半数以上がシリア国内外への避難を余儀なくされている。この攻撃は6月もまだ続いており、死亡者数は2,000人に上ると報道されている。病院も攻撃を受けており、負傷した人が十分な治療を受けられていない恐れもある。また、シリアの中学高校では、この時期に年度末の重要な試験が行われる。しかしこの地域の少なくとも37校が爆撃で校舎が破壊されたり、最低限必要な紙などが入手できなくなったりしており、空爆が子どもたちの教育を妨げ、将来の不安をより大きくする事態となっている。
シリアでは、北西部以外に反体制派の支配地はほぼなくなっており、ここから国内の別の地域に避難することは、シリア政府支配地域に入ることを意味する。シリア政府は避難ルートを2つ提供したが、政府の迫害を恐れてそのルートを使用しない人々や、すでに資金が底をついてどこにも逃げられないと話す人もあり、状況は一層厳しさを増している。
クラスター爆弾は、親爆弾に格納された子爆弾が空中からばらまかれ地上で爆発して一気に広い範囲を破壊させる兵器である。また地上で爆発しなかった子爆弾は、殺傷する能力をもったまま地雷のようにいつまでも残され、平和になった後でもクラスター爆弾の被害に遭うという脅威がいつまでも続くのである。市民をそのような脅威から守るために2008年12月にクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)ができた。しかしまだ製造し、使用する国がある。
兵器を禁止する条約は、すべての国がそれを守らなければ被害がなくならない。シリアとシリアを軍事的に支援するロシアには、オスロ条約に一刻も早く加盟することを求める。日本を含むオスロ条約の加盟国には、クラスター爆弾の使用をやめさせる義務がある。シリアでの使用を放置せず、クラスター爆弾を含む武力攻撃を直ちにやめて、市民を守るよう訴えることを求める。
オスロ条約の第9回締約国会議が2019年9月2日から4日まで、ジュネーブにて開催される。いかに条約の効果を高め、クラスター爆弾の被害を止められるか、そのために私たちNGOがすべきことは何かを加盟国と共に検討する機会である。
本の紹介 『核兵器はなくせる』(岩波ジュニア新書/著:川崎哲)
2017年7月、核兵器禁止条約が成立しました。そして条約の成立に大きな役割を果たしたNGO核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がその年のノーベル平和賞を受賞しました。ICAN国際運営委員として核兵器廃絶のために奔走する著者が、核兵器の問題とは何か、ICANはどのようにして世界の国々を動かすことができたのか、そして私たちができることについて、中高生にもわかりやすく記した一冊です。
国際的に大きな関心を集めている核廃絶への動きですが、残念ながら世界で唯一の戦争被爆国である日本はこの条約に加盟していません。それどころか、核兵器禁止条約のことや、日本政府が条約に反対していること、そして世界中で証言を続けた広島や長崎の被爆者の声が条約成立を後押ししたことを、どれほどの人が知っているでしょうか?
条約の発効に向けての動きや朝鮮半島の非核化など、今後国際社会は核兵器の問題をめぐり大きく変わっていくでしょう。核廃絶に向けて動き出した世界に生きる1人として今知っておきたい内容がつまっています。
本書には著者の子ども時代からはじまった平和活動にかかわる軌跡も描かれています。平和活動やNGOの仕事に興味を持つ若者には、ワクワクがつまった将来への道しるべともなりうる本です。 (ピースボート 森田幸子)
オタワ条約を完全に実行するために
趙載国 韓国地雷対策会議(KCBL)代表
去る5月22日より24日まで、ジュネーブの世界気象機構(WMO)ビルにおいて対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)の実行のためのインターセッショナルミーティング(ISM)が開かれ、80 ヶ国と30のNGOから約300名の代表たちが参加した。ISMとは、オタワ条約の効果的な実行のために毎年スイスで開催され、主に締約国会議のための準備にあたる。この会議は条約の加盟国のみならず未加盟国、また関心のあるNGOも出席して意見を述べることが出来る。特に、JCBLやKCBLが属するICBL(地雷禁止国際キャンペーン)は積極的に参加して専門的な意見と声明文を出しながら地雷被害者の声を代弁し、真実をメディアに流すなどの活動をしている。
今度の会議でも、各国代表による報告とそれに対するICBLやICRCなどの評価や反論などが続いた。また最終日の24日には、11月にオスロにて開催される第4回再検討会議の準備会議が持たれ、8つの小委員会の構成や準備日程、議題などを決めた。議長を務めたノルウェーのハンス国連大使は、この会議は再検討会議に向けた大切なステップであること、そして目標に向かって新たな行動計画を策定するために全てステークホルダーたちとの対話と協議が必要であることを強調した。
ISMでは、規程期間内に地雷除去が出来なかった5 ヵ国がその期間の延長を申請した。それらは、アルゼンチン、チャド、エチオピア、タジキスタン、そしてイエメンである。特にイエメンの場合は、内戦によって新しく地雷使用が行われてその分延長が必要となった。またエクアドルは、2022年までの地雷除去の完成のために5百万ドルの援助を要請したが、残った地雷原80,238m2に3,200発の対人地雷があると報告された。ウクライナは、さる2年間で何と3百万発の貯蔵地雷を爆発したと報じた。これまで条約加盟国161 ヵ国が破壊した貯蔵地雷は約5千3百万発となった。
日本政府の代表は、過去20年間、世界の地雷問題を解決するための多くの援助金を支出したこと報告しながら特に日本企業が製作した地雷除去機械が大きく役に立ったことを強調した。今回、初めて韓国の政府代表が参加して2018平壌宣言の後に非武装地帯の地雷除去が続いていると報告した。
韓国のように未加盟国の中で会議に参加した国は、ラオス、モロッコ、ミャンマー、サウジアラビア、そして米国である。
またICBLはテーマ別の各セッションにおいて活発に発言し、各国に条約の義務の真摯な履行を求めた。協力と支援に関するセッションでは、過去20年間、条約の訴える規範がドナー国と地雷原のある国とのパートナーシップをより強固なものにし、1997年条約の成立以来、実に80億ドル以上の支援金が地雷問題の解決のために使われ、それぞれの経験や技術、そして専門的な知識の提供に成功したと評価した。しかし、ICBLは未だ34の加盟国がその地雷除去の義務を果たすためにより多くの支援を求めてることや、生存犠牲者の多い30の加盟国が、義足やリハビリ、社会復帰のための適切な支援を提供するための資金が不足していることを強く訴えた。
今回KCBLはICBLと共にサイドイベントでセミナーを開き、朝鮮半島の軍事緩衝地帯(DMZ)の地雷除去における課題について報告し、各国代表団にその必要性を訴えた。韓国政府の代表は、これからIMAS(地雷除去に関する国際基準)に従って地雷除去をすることが政府の方針であると発言し、また元工兵隊長は、戦時の必要性が無くなった地雷原の地雷除去のために国際社会の協力を求めた。KCBLは、現地の実状をもっと知ってもらうため、7月にJCBLと共催で、DMZやその他の地雷原を視察するプログラムを計画している。
今回の会場の入口には、「2025年に“仕事”を終わらせよう」と書かれた看板があり、参加者が揃ってその前で願いを込めて記念写真を撮った。その通り5年後には地雷のない新しい世界が開かれることを願いたい。
2019年度 第10回会員総会開催報告
6月19日、第10回会員総会が開催されました。冒頭に、代表の清水より2018年度は前代表の北川泰弘氏が亡くなられたことと、アーユスの助成金を受けて着任した専従事務局スタッフが退職したため事務局員不在のまま活動せざるを得なかったことが報告されました。3月末時点での正会員数は75名(うち個人会員64 団体会員11)、参加者数57名(出席者22名、委任状35名)で、総会は成立しました。
第1号、第2号議案の2018年度の活動報告と決算について、クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)に署名しながら未だ未批准の14 ヵ国宛てに世界中のキャンペナーが早期批准を求める書簡を送り、内3 ヵ国が批准したこと、ミャンマーにおける被害者支援を継続し、女性2名を含む56名に義足の支援ができたこと、7月には韓国のKCBLの趙戴国代表をお招きして「朝鮮半島の緊張緩和と地雷問題」と題したシンポジウムを東京と大阪で開催したこと、クラスター爆弾への投融資禁止キャンペーンに関しては、日本の金融機関が「不名誉リスト」から消え、「次点リスト」に4社載るに至ったことが報告されました。続いて決算報告では、当初予定していた収入に満たない中で義足支援を継続したことにより正味財産を減らす結果となった旨の説明がありました。
会計処理については、適正に行われたことが廣田監事の監査報告として報告されました。
質疑応答では、「専従スタッフがいなくなったことで変更した活動は何か」との質問に対し、清水より、「ファンドレイジングのためのホームページ充実や、パンフレットの刷新、募金方法を多様化する仕組みを作る計画が滞っている」と説明しました。以上をもって、1号2号議案とも拍手で承認されました。
続いて第3号、第4号議案の2019年度活動計画と予算についての一括審議では、2019年はオタワ条約発効から20年となることから、オスロで行われる再検討会議への参加を目指すこと、朝鮮半島の地雷問題に引き続き取り組むこと、台湾で行われるアジアの加盟国を増やす取り組みへ参加すること、投融資禁止キャンペーンにて政府年金基金運用機構への呼びかけ、韓国の金融機関への働きかけをKCBLとともに進めること等を説明しました。予算が昨年度の実績を超えていることについては、収入として計上されている助成金120万のうち90万は既に確保できていること、被害者支援の呼びかけを強化すること、11月のオタワ条約再検討会議(オスロ)への参加は寄付の集まり具合をみて決めることと説明しました。
会場からは、投融資禁止キャンペーンを他団体と合同でやる可能性はあるのか、未批准国にはどのようにアプローチしているのかとの質問に加え、締約国会議には財政的に厳しいとしても参加した方がいいのではないかとの意見があげられました。最後に目加田より、朝鮮半島情勢が進展すればアメリカが加盟を拒む理由は無くなり、続いてキューバも加盟する可能性がある旨の補足説明がされ、決議の結果賛成多数で承認されました。(渡辺美緒貴 JCBL理事)
オタワ条約 第4回再検討会議の準備が始まりました
今年は、条約の現状と行動計画を見直す5年に一度の再検討会議(Review conference)が11月下旬にオスロで開催されます。それに先立ち、5月22日から24日かけて行われた中間会合(Intersessional meeting)にて、11月に確認すべき点が討議されました。
2014年にマプトで開かれた第3回再検討会議で採択された2025年という期限目標に向けて、地雷除去や貯蔵地雷の破壊の進捗状況や延長手続きの状況、条約普遍化に向けての課題などが提起されました。次回の再検討会議で採択される向こう5年間の行動計画が、最後の行動計画となり、地雷なき世界を実現するよう、JCBLも微力ながら私たちにできることを続けていきたいと思います。 (清水俊弘 JCBL代表理事)
地雷の被害、だれが償うのか。そして今、私たちにできることは
下田寛典 JCBL ミャンマー支援コンサルタント
4月末、ミャンマーのカヤー州を訪れる機会を得た。JCBL は、カヤー州で活動する現地 NGO、KNHWO と共に 2018 年度も地雷の被害者への義足支援を実施した。結果として 44 名の地雷被害者に義足を提供することができた。このうち女性は 2 名だった。
受益者として女性が少ないのにはいくつか理由がある。一つ目は実際の被害に遭うのが女性より男性のほうが多いということ。これは他団体の調査などを通じてみても男性のほうが多いことが認められる。二つ目は、実際に被害に遭ったとしても、KNHWO の義足工房の存在を知らない場合がある。女性は比較的家にいることが多く外部との接点が男性より少ないので情報を得る機会が少ないためだ。三つ目は家庭内で男性から外に出るなと言われているケース。夫など男性側から被害に遭った女性を隠そうとする傾向がある、と言う。こうした封建的な村の状況によって女性が義足を得ることを困難にしている。KNHWO の技師たちから、そんな話を聞いた。
18 年度に支援できた 2 名の女性のうち、一人から話を聞くことができた。エイ・マさん (42) だ。エイ・マさんに最初に会った時、彼女が地雷の被害者であることに私はまったく気付けなかった。彼女の足取りはしなやかで、普通の人の足の運びと何ら変わらなかったからだ。部屋に案内されて、私がインタビューする相手を待っていると、「じゃあ、どこから話したらいい?」と彼女が聞いてきた。「ん !?」とちょっと意表を突かれた私に、彼女は笑顔を浮かべながらロングスカートを少しだけたくし上げて義足を見せてくれた。ハッとした。そして、彼女はおもむろに地雷の被害に遭った当時から現在までのストーリーを語り始めた。
私は、2003 年 2 月シャン州の南部で被害に遭いました。ちょうど薪に使う木を取りに行っている時のことでした。地雷が爆発した後、何が起きたのか分かりませんでした。大きな衝撃を受けて大声を出して周りの人に見つけてもらいました。ロイコー(カヤー州の州都)にある病院に運ばれ2ヵ月間入院し、その時に足を切断しました。足がなくなったことを最初は受け入れられませんでした。医師からは「足を失ったけれど君は死ななかった。もし死んでいたら子どもや家族も悲しむだろう。それに比べれば死ななくて本当にラッキーだったんだよ」と諭されました。でも私には 4 人の子どもがいたので、どうしたらよいのか本当に先の見えない状態でした。その後、シャン州に一度戻りました。知人からヤンゴンで義足工房があることを教えてもらい、ヤンゴンに行き最初の義足を手に入れました。
そこで私に転機が訪れました。ヤンゴンで障害者スポーツに出会ったのです。私はその後、パアンにある ICRC の義足工房で 2 回目の義足を手に入れ、2008 年に 3 回目の義足として KNHWO に出会いました。KNHWO を紹介した小さなパンフレットがあって、それを見て初めて知りました。ICRC の工房はとても大きくてスタッフもたくさんいました。KNHWO の工房は小さくて「大丈夫かな?」と最初は不安に思いましたが、できた義足を使ってびっくりしました。足先の部分が安定していて耐久性があり、接続部分もまったく痛くなかったんです。それにパアンでは1ヵ月も滞在しなくてはなりませんでした。滞在費は無料でしたが順番待ちも多くて、でも KNHWO では 2 日間で作って 5 日間くらいかけてフィッティングしていくので、長くても 1 週間でできました。それに KHNWO のスタッフはとても親身になって声をかけてくれたんです。
先ほど障害者スポーツに出会ったと言いましたが、私は国際大会にも出たんですよ。最初はハイジャンプをしていましたが、それから短距離走、今は砲丸投げをしています。マレーシアの大会では 100m 走に出て 2 位になりました。海外選手はカーボン製のもっと軽い義足をつけての出場だったのに、私のほうが速かったんですよ。競技を終えて他の選手から「それはどこの義足なの?」と聞かれたので、「KNHWO 製よ」と胸を張って答えました。ほかにも中国やインドネシアの大会にも出場しました。カヤー州では今も私がナンバーワンです。今年も 10 月にヤンゴンで全国選手権があるので出場します。足をなくしたことで本当につらい思いもたくさんしました。けれど、障害者スポーツに出会って、こんな風に活躍できるなんて夢にも思いませんでした。海外にも行くことはなかったと思います。
今こうして JCBL が KNHWO を支援してくださっていることに本当に感謝しています。けれども、同時に政府に対する憤りも感じています。シャン州の軍病院には義足を作る工房があります。軍人は無料ですが、民間人は有料です。政府と反政府勢力との争いが原因で埋められた地雷で被害に遭ったのに、民間人の被害に対して政府が支援することはありません。私がこうして義足を手に入れられたのは海外からの援助があるからです。本来は政府がやらなくてはいけない仕事を海外に助けてもらっている。こんな政府を情けなく思いますし、怒りを覚えます。政権は変わり、被害者に対して一律 200,000KYAT(約 15,000 円)の義援金が送られましたが、それも 1 回だけです。本当の意味で償いをする気持ちがあるのか疑問です。
私は KNHWO の活動のことを他の人にも紹介しています。ミャンマーでは障害者を隠したがる文化が根強くあります。「障害があることは人生の終わり」、と考えている人も少なくありません。しかしそうではありません。義足を得れば別の人生を歩き始められます。それに他の工房にはない、KNHWO の人たちからの精神的なサポートも得られます。他の人たちに活動を伝えているのはその人たちのためでもあり、自分のためでもあります。そうした時間が私にとってかけがえのない時間になっています。
エイ・マさんは終始、笑顔を絶やすことなく話してくれた。地雷の被害に遭うという本来あってはならない「人災」に巻き込まれた彼女は、障害者スポーツとの出会いを通じて蘇った。そんな感じがした。それと共に KNHWO の心のサポートの大きさにも気づかされた。
KNHWO の運営については課題も少なくない。その最たるものは、財政難だ。現在、JCBL の支援によって半年分(10月~ 3 月)は運営できている。けれど、4 〜 9 月は工房を閉じざるを得ない状況で、現状、これが精いっぱいだ。「人件費はいらない。材料だけ何とか 1 年分、支援してもらえないか。そうすれば義足を作り続けられる。工房に誰かいることが大事なんだ。せっかく工房に来て義足を希望する人たちとの接点を失っている。工房を常にオープンにしているという状態が続けられるようになるのが理想だ。半年分の材料費で約 17 万円。ここだけ何とかならないものか」と技師は口をそろえて言う。かつては受益者負担ということを考えて、KNHWO も募金箱を置いたり、本人にいくらか負担をしてもらうなど策を講じたが、心情的に難しさを覚えている。エイ・マさん同様、義足を必要としている人たちは、本来、被害に遭う必要のなかった人たちだ。そんな人たちからお金をもらうのは筋が違うのではないか。そんな思いに常に駆られると言う。
今も義足を必要としている人たちは数多くいる。だからこそ、工房が持続的に運営できるようになることが必要だということを KNHWO はよく分かっている。そうしたジレンマを抱えながら、KNHWO の技師たちは工房を再開する日を今か今かと待っている。
「今、私たちに何ができるのか」。NGO に関わる私たちにとって常套句のようなこのことを、考えさせられた。
JCBL事務局だより
◆北川さんを偲ぶ会報告
2018 年 10 月 21 日に 91 歳で亡くなられた JCBL 前代表で名誉顧問の北川泰弘さんを偲ぶ会を、1月19日の午後、これまでJCBLが様々な会合を催してきた東京の文京シビックセンタースカイホールにて開催いたしました。当日は晴天に恵まれ、国内外から100人近くの方々にお集まりいただきました。みなさまにご献花いただいたお花に囲まれた北川さんの写真の前で、長年のご友人、NTTの元同僚の方、JCBLを通じた方々など多彩な北川さんがいろいろなところでお会いになっていた方々と思い出を語り合い、お誕生から晩年までを写真で振り返り、また弟の北川孝秀さんから特に最期のご様子をうかがって、北川さんに思いを寄せる時間となりました。ICBLのメンバーから北川さんにあてたビデオメッセージもご紹介しました。バックには北川さんの愛したクラシック音楽を流し、とても穏やかな会となりました。
お越しいただいた皆様、また、お手紙やメール、電報を送ってくださった皆様、本当にありがとうございました。北川さんのご遺志を継いで、JCBLは歩んでまいります。 (内海旬子 JCBL理事)