北川泰弘 JCBL 前代表の逝去を悼む
本当に悲しいお知らせをする日がきてしまいました。JCBL の北川泰弘前代表理事が 2018 年 10 月 21 日、逝去されました。91 歳でした。JCBL では常に私たちを支え、またリードしてくださいました。地雷やクラスター爆弾に関する国際会議にもたびたび参加され、英語やフランス語で各国代表者に地雷廃絶を訴えました。また世界中から集まるICBL のキャンペナーたちとも気さくにつきあい、みんな北川さんが大好きでした。特にアジアの国々の若いメンバーをよく気にかけ、会議中はもちろん、会議の後に食事に誘い、よく同じ時間を過ごしていました。北川さんが彼らから聞いた話が、JCBL の犠牲者支援事業や、NSA の問題への取り組みの参考になりました。北川さんが亡くなった数時間前には、「朝鮮半島で地雷除去が始まりました。KCBL の会議に出かけて、これからの JCBL の役割を話し合ってきますね」とお話しし、北川さんは目を向けて応えてくださったように見えました。最後まで現役のキャンペナーでした。訃報に際し、世界中からお悔やみのメッセージが届いています。
ニュースレター読者の皆様には連載記事「私の来た道」でお読みいただいた通り、若いころからヨーロッパ、アジア、アフリカの国々で活躍され、それぞれの国で知り合った方々とずっと親交があったのも北川さんならではでした。晩年を過ごされた横浜市内の高齢者用住居に日本の国内外から多くの友人が北川さんを訪ねるので、周りの方々が驚かれていました。クラシック音楽に造詣が深く、合唱団員として何度も舞台にたち、クラリネットやチェンバロを奏で、ゴルフやスキーにいそしみ、国内外に旅行に出かけ、豊かに生きる見本を示してくださいました。もっと「私の来た道」で北川さんの人生を知りたかったのに、絶筆となってしまい無念です。
ご葬儀は 10 月 28 日にご家族のみで執り行われました。JCBL では、1 月 19 日 15 時より文京シビックスカイホールで偲ぶ会を開きます。参加ご希望の方は、office@jcbl-ngo.org までお知らせください。
北川 泰弘 略歴
1927年4月1日東京生まれ。早稲田大学理工学部応用物理学科卒業。1952年逓信省(後のNTT)入省。1963年コロンボ・プラン電気通信専門家(現在のJICA専門家)としてカンボジア赴任。1992年カンボジアへ義肢装具士を派遣する「プノンペンの会」を設立、事務局長に就任。1995年カンボジア市民フォーラム地雷分科会世話人。1997年7月JCBL設立時に代表に就任、2016年まで務める。2003年地雷廃絶運動の中心的役割を担ってきた功績で「朝日社会福祉賞」受賞。2018 年10月21日永眠。
シンポジウム
「DMZ(非武装地帯)の地雷除去に関するNGOの役割」の報告
目加田説子 JCBL副代表
2018年11月15 〜16日、韓国のソウルにて「DMZ(非武装地帯)の地雷除去に関するNGOの役割」と題した国際シンポジウムが開催された。韓国地雷廃絶キャンペーン(KCBL)と延世大学のイースト・ウェストセンター等が呼びかけたもので、国際機関やNGOを中心に約40名が集まった。また、翌日には非武装地帯視察ツアーが実施され、DMZや第3トンネルなどを見学した後、ソウルで国防部(日本の防衛省)のヒアリングが実施された。日本からは、JCBLの内海旬子、小林千秋、筆者、リズムネットワークから上井滋子氏と加藤末子氏が参加した。
■ 国際シンポジウムが開催された背景
最初に、今回のシンポジウムが開催された背景として、朝鮮情勢を巡る近年の変化をおさらいしておく。
北朝鮮が核実験とミサイル発射を繰り返してきた中、2017年は戦争が起きかねないと言われるほど東アジアの安全保障環境は緊迫していた。
ところが、2018年の「新年の辞」で北朝鮮の金正恩主席が2月の平昌五輪に北朝鮮代表団を派遣する用意があると呼びかけたことをきっかけとし、一気に情勢が動き出した。4月には南北首脳会談が開催され、6月には初の米朝首脳会談が実現した。
9月の第3回南北首脳会談では、板門店の共同警備区域(JSA)の地雷を除去することで合意し、10月下旬には除去が完了した(因みに韓国側に地雷は埋設されていなかった)。南北は、DMZを平和地帯にすることでも合意していることから、同地域の地雷除去問題が一気に現実味を帯びた。こうした背景の中、KCBLは地雷除去には韓国軍のみならず国際社会、特にNGOのカンボジアやアンゴラ等で培ってきた豊富な経験や知識が不可欠との認識から、今回の国際シンポジウム開催に至ったのである。
尚、DMZとは、南北の軍事境界線を中心とした両側2km(南北で4km)の非武装地帯を指し、東西に243kmの長さで総面積は約6400平方メートルに及ぶ。ここに大量の地雷が埋められているとみられており、全て除去するには数百年かかると推定されている。また、大半の地域は1953年休戦協定以降手付かずの状態であることから、豊かな自然環境が残されていることも今後の除去を進める上で念頭に置いておく必要がある。
■シンポジウムの概要
シンポジウムは延世大学の朴所長の挨拶で開会し、来賓や主催者が相次いでこの時期に地雷に焦点を充てたシンポジウムが開催されることの意義を強調した。その後、文在寅大統領の外交・安全保障の特別アドバイザーを務める延世大学の文正仁名誉教授が基調講演を行った。文名誉教授は、2018年だけで3回開催された南北首脳会談に全て出席している立場から、朝鮮半島の非核化と戦争終結宣言、米国の外交、今後の行方などについて詳細に語った。シンポジウムに参加した全員が朝鮮情勢の専門家ではない上、現状を懐疑的に見ている人たちもいる中で、皆が共通認識を持つ上で貴重な機会となった。
その後、ジュネーブ人道的地雷除去センター(GICHD)、国連PKO局地雷対策サービス部(UNMAS)、国連開発計画(UNDP)、ヘイロー・トラスト(HALO Trust)、ノルウェー・ピーポーズ・エイド(NPA)、マインズ・アドバイサリー・グループ(MAG)などが相次いで登壇し、除去に関する専門家が総結集した形となった。同時に、最後のパネル討論には、フィリピンや台湾、コロンビアのキャンペーンや筆者も参加し、地雷対策が除去に留まらず、被害者の支援なども実施されることの重要性について話し合った。
また、最終日にはDMZを視察した後、国防部で約1時間にわたり実質的な議論が行われた。通常、国防関係者との面談は形式的な内容に終始しがちだが、KCBLの趙先生が国防部の被害者支援委員会会長を務めておられることもあり、地雷対策の費用や国際社会の援助、具体的な調査の進め方など、忌憚のない意見交換が実現した。朝鮮半島で初めて地雷問題が現実に動き出していると実感すると同時に、JCBLには何ができるのか考えさせられる機会となった。
韓国のDMZの地雷、どうすれば除去できるか
趙載国 韓国地雷対策会議(KCBL)代表
最近、地雷問題における韓国政府の立場が大きく変わっているようだ。9月の南北会談では、「事実上の不可侵条約」と言われる南北軍事合意書が両側の間で交わされた。主な内容は、非武装地帯(DMZ)内の監視哨所(GP)11ヵ所を撤収し、また全ての哨所を撤収することにし、軍事分界線より両方5km以内にて射撃を禁止するとのことであり、板門店の共同警備区域(JSA)を非武装化してDMZ内の遺骸・遺跡発掘を行うということである。JSAの非武装化とDMZ内の発掘とは、すなわち地雷除去を実施するということである。既に韓国の国防部は、DMZの地雷除去のために計画を練っているようであるが、今までの実績から見ると非常に難解な作業になるのではないかと懸念される。幸いにもJSAの南側には地雷が見つからず作業は終わり、すでに監視哨所(GP)10 ヵ所を撤収した。
韓国の市民社会は、地雷問題の解決に関する議論が上がっている今、対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)に南北が同時加入することを提言する傍ら、韓国の広大な地雷原に埋設された多量の地雷の除去のための手段を考えている。韓国軍に難題の地雷除去を託すことが難しいと分かっている以上、韓国の市民社会は世界に助けを求めるしかない。特に、オタワ条約の成立以来、世界各地の地雷除去作業に成果をあげている国際NGOに目を向けることによって何か解決のヒントを掴みたいという思いで、今回の国際会議を開催した。
■ 国際NGOの役割
今回の主題は「DMZの地雷除去のための国際NGOの役割」とした。地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)をはじめスイスのGICHD、英国のHALO Trust、日本のJCBLなどこの問題に長くかかわってきた仲間たちをはじめ、最近、金門島の地雷除去を完了した台湾の専門家も参加して、韓国の地雷問題の解決のための提言を行った。今回の会議は、延世大学の東西問題研究院のNPOセンターとKCBL、Green KoreaそしてKOICA(Korea International Cooperation Agency)が共同で開催し、国防部や外務部など多くの関係者も参加して国際NGOの経験と知恵に耳を傾けてこれからの協力を求めた。また会議の後、参加者たちは国防部を訪問して工兵隊長や停戦委員会の首席代表と懇談会を行い、国防部より韓国地雷の除去のために国際的な支援を要望した。国連をはじめ世界からの専門家たちは、地雷除去が南北軍事会談のアジェンダになり北朝鮮との同時進行で実施されることが最善であるとの意見を表した。私は国防部の地雷被害者支援委員会の委員長を務めながら韓国政府の悩みも共有する立場であるが、今回の国際会議が市民社会側のみならず政府側にも問題解決のために一歩前進できるきっかけになったと評価し、また未来には朝鮮半島の地雷問題の解決が、まだオタワ条約に加盟してないロシアや中国などの地雷除去へと繋がると信じたい。
■ 必要なのは正確な情報
今回の国際会議を通して導き出された良い効果は、次の二つである。
まず、何よりも韓国の地雷原に関する正確な情報が必要だという認識を高めたこと。韓国側から地雷に関する正確な情報が出されてはじめて、世界の専門家たちからその解決のための知恵を得ることができる。韓国政府は一貫して情報を秘匿し、あたかも政府の能力ですぐにも除去できるというように見せかけてきた。地雷原の80%が戦時にも要らないものなのに、北朝鮮と対峙しているために必要不可欠であるという理由で、その除去の責任を逃れてきた。オタワ条約の成立過程において、韓国代表が「韓国においては地雷原をちゃんと管理しているため、民間人の被害者は一人もいない」と明言したことは、今になってもあっけに取られる。当時、韓国政府は南北の対峙が解決するまで韓国の加盟を猶予する例外条項を入れるために、韓国の地雷が他の地雷原のある国々と違って非常に安全に管理されているという主張をしてきたのである。しかし、韓国政府の公言と裏腹に韓国には1千人を超える地雷被害者が存在しており、その補償のために特別法まで制定している。今回もDMZの地雷除去が話題となっているが、本来はDMZの外にあって村人たちを脅かす地雷原がもっと早く除去されるべきである。いわゆる未確認地雷原あるいは未計画及び未管理地雷原の方がより広くより危ないのは、周囲に住む人たちは誰でも知っている。このような実態や真実がまず広く知らされないと、韓国の地雷除去もその被害者である村人たちの願いと離れて、政治的な論理でもって住民の安全と生存権と関係のない地雷原を優先することになる。
■ 国際NGOの経験から学ぶ
次に韓国の軍隊と市民社会は、オタワ条約の成立以来20年間以上蓄積されてきた国際地雷除去NGOの専門的ノウハウを学ばなければならない。韓国の軍隊は、北朝鮮へと繋がる道路や鉄道を開くために局地的に地雷除去の作業をしたことがあるが、それは国連が定めた基準にそったものではないし、今も環境問題や住民問題を考慮した方法の地雷除去とは程遠い。朝鮮戦争から65年で地雷原の老化も進んでおり、地雷を探して取り除くためにはより真剣な作業が必要であり、少なくとも国連の基準に沿わなければならない。
そのためには、国際NGOの長い経験と優れた専門性を借りるべきである。韓国の2、3年毎に代わる現役兵士たちより、経験ある退役軍人らで構成される国際NGOの方が確かに優れている。いろんな紛争地域にて地雷除去の作業に当たった国際NGOたちが自分たちの経験を踏まえて韓国の地雷原と地雷の特徴を分析し、その解決策を講じてくれるだろう。また彼らの提言は、きっと国連をはじめ地雷除去のために資金を提供する様々な団体にも説得力をもって受け入れられるだろう。特にアメリカはこれまでの20年間で、約1,150億円を地雷基金として拠出しているが、直接責任のある韓国の地雷被害者と地雷除去には一銭も出していない。今もいわゆる国連軍の戦時作戦権の問題で、韓国における地雷の使用と撤廃などは国連の名の米軍にあるために、地雷問題に対する責任も避けられない。
韓国における地雷問題は、その歴史を辿ってみれば朝鮮戦争と国連軍の名の米軍にあり、長い軍事政権の国家安保の名のミリタリズムによって、必要ないのにもかかわらず除去せずに残してきた地雷原にある。その意味で韓国の地雷除去とは、真に軍事文化を後退させ、平和文化を切り開く歴史的な意味合いを含んでいると言える。
「DMZの地雷除去におけるNGOの役割」に参加して
小林千秋 JCBLボランティア
「DMZの地雷除去におけるNGOの役割」にJCBLから参加したことは、大学在学中の2013年にJCBLが主催した対人地雷について学ぶ講座に参加したことからつながっている。講座の後、JCBLのイベントでボランティアをすることで対人地雷問題についてさらに学ぶ機会を得た。また独学で勉強していた「韓国語」と大学で学んでいた「国際関係」の2つが関わる活動を探している中で、早稲田大学と韓国の延世大学が2007年から共同で行っている活動「PEACE TOUR」で韓国を訪ね、KCBLの活動も知ることとなった。
大学を卒業してからは学生時代のようにボランティアをできず、働きながら地雷廃絶キャンペーンに関わっていくにはどうしたらよいかをずっと考えていたため、今回シンポジウムに誘われて、特別な気持ちで韓国に向かった。このシンポジウムでは、韓国の軍関係者の参加も多く見られた。現在韓国では、非武装地帯(DMZ)で、6・25戦争における遺骨発掘作業が南北軍共同で行われていることから、DMZ自体が注目されている。今回私が感じたのは、地雷除去に対する韓国の前向きな姿勢と国際的な地雷除去団体の協力的な姿勢であった。国防部での会議では、韓国側から「今後の地雷除去にアドバイスが欲しい」との発言があり、それに対して、今まで様々な国で地雷除去を行ってきた団体から協力的な発言が相次いであった。
シンポジウム後の食事会で、韓国の地雷地帯の調査を主に行っているNGO「GREEN KOREA」のスタッフに「日本は国内に地雷問題が無いが、今後どのような活動をしていくのか」と尋ねられた。日本として、また私個人として何ができるか。そのことに私はまだ明確な答えをみつけられていない。しかし、今回の会議に参加し、韓国の人たちと直接お話をすることで刺激を受け、答えにつながる何かを得たように感じた。これからも韓国と北朝鮮の対人地雷問題に関し、自分のできることを考え続けていきたいと思っている。
【視察レポート】
JCBLが支援するカヤー州の地雷被害者のいま
加藤美千代 JCBL会員・委託調査員
ミャンマーの中央部に位置するカヤー州は、ミャンマー連邦で最も小さな州です。長い間、ミャンマー国軍と民族武装勢力らが武装衝突を繰り返し、地雷が多く使われたと報告されています。JCBLが支援するカレンニー・ナショナル・ヘルス・ワーカーズ・オーガニゼション(KNHWO)は、カヤー州の州都ロイコーで義足工房を運営しています。昨年賜りました皆さまからのご支援で、KNHWOを通して合計47人に義足を届けることができました。
2018年10月16日~19日にKNHWOを訪問し、スタッフや昨年支援した地雷の生存者の話を聞くことができました。その様子をご報告いたします。
■「義足は生活必需品」
「新しい義足は、村の集会や結婚式へ出席するときに使っています。お出かけ用に大切にしています」と語ったのは、地雷で右足を失ったトゥントゥンゾーさん。新しい義足は、昨年、JCBLの支援で提供されました。「新しい義足ができて、とてもうれしい。9年前から使用していた義足が壊れたらどうしようと心配することもなくなったし、履き心地がいい」と嬉しそうに話してくれました。
トゥントゥンゾーさんは、いまから18年前の1999年、食用ネズミを追いかけてカヤー州ロピタにあるバルーチャン水力発電所敷地内で地雷の被害に遭いました。水力発電所の周りに地雷があることは耳にしていたのですが、敷地を示す囲いはなく、知らずに入り込んでしまったのです。「(食用)ネズミを3匹捕まえて売れば、家族が1日過ごす収入になる」ので、必死だったといいます。「義足がないと松葉杖を使うので両手が使えなくなる。両手が使えないと畑の農作物に水もやれないし、バイクを運転できなくなり、家に閉じこもってしまう」と義足の大切さを真剣なまなざしで話してくれました。
今回の視察で出会ったもう一人の地雷の生存者、マウントゥーさん(40歳)は、カヤー州の州都ロイコーから車で15分、静かな湖の畔で暮らしています。1997年、ミャンマー国軍兵士として従軍中に地雷の被害に遭いました。コンクリート土管製造会社を家族経営するマウントゥーさんは、仕事のために30キロ以上ある袋を担いで運びます。「新しい義足を提供してくれて、感謝している。義足がないと仕事ができないので本当に困ってしまう」とのこと。またマウントゥーさんは昨年から地域の取りまとめ役(村長)を務めていて、頻繁に集会に出かけます。「義足があるから出かけられる。義足がなければこのように社会に貢献することもできなかった」とも話してくれました。
■ カヤー州の地雷の状況
カヤー州は近年まで外国人は訪問禁止、州外に住むミャンマー人も避ける地域でした。民族武装勢力と国軍との紛争が激しく、危険な地域だったからです。多くの人たちが難民として、隣接するタイへ避難しました。紛争では政府軍、民族軍ともに地雷を使いました。相手を傷つけるためだけでなく、ミャンマー最大規模の発電所・バルーチャン水力発電所施設が紛争で破壊されないよう、防御のために多くの地雷が埋められました。
2012年に両勢力が停戦に合意した後も、カヤー州内では地雷の被害者が報告されています。2016年にも一人が地雷の被害に遭っています(ランドマインモニター 2017より)。
■ カヤー州の地雷生存者に、いま必要なこと
地雷生存者の生活状況をよく知るKNHWOのスタッフたちは、地雷生存者を含む障害者を支援するために必要なことが3つあると考えています。
<地雷生存者や障害者が集まる場づくり>
地雷の被害に遭うと、身体だけでなく心理的なダメージを受けます。家族の支援が得られず、アルコール依存症になってしまう人もいます。トゥントゥンゾーさんは、地雷事故後に妻が子ども2人を残して去ったので「父や弟の支えがなければ、小さな子どもたちを抱えて、どうなっていたかわからない」と語りました。カヤー州には心理的ケアができる専門家はいません。トラウマケアは家族や親せき頼みです。KNHWOのジョーウィン所長「KNHWOが支援している人たちが集まり、情報交換するような場があれば、少しはみんなを力づけられるかもしれない」と考えています。
<収入の向上>
カヤー州に平和が訪れてからわずか6年。地雷で手や足を失った生存者の暮らしは決して楽ではありません。トゥントゥンゾーさんは、現在は自宅裏の小さな畑でトマトを栽培して暮らしていますが、生活は苦しいと言います。自宅近くの牧草地で、牛や豚を飼育し増やして売るのが夢ですが、最初に子牛2頭を買うお金がないといいます。
<義足製作技術の向上>
義足工房の技術者たちは、自分たちが持つ技術は古いので、新しい技術を身につけて、よりよい義足を提供できるようになりたいと口をそろえます。特に改善が望まれているのが、義足の足部分です。マウントゥーさんの義足は、1年ほどで足の土踏まず部分が割れてしまいます。義足の通常の耐久性は5 ~ 6年ですが、仕事で義足に過度の負担をかける彼の場合は傷みがひどく、自分で修理して使うこともあります。昨年の支援で、義足の提供を受けたのは3回目です。より柔らかな足部分をミャンマーで生産できるようになるのが理想です。
■ スタッフの抱負
自らも地雷生存者であり、多くの地雷生存者や障害者を支援してきたジョーウィン所長は「今年は新しい地雷の犠牲者はいないけれど、一度地雷の被害に遭うと一生義足が必要になります。スタッフが自らの生活が楽ではない中で、義足工房の運営資金がない間もボランティアで工房に来るのは、みんなこの仕事に誇りを持っているからです。今年もJCBLの支援で、一人でも多くの地雷生存者や障害者に義足を届けられるようにします」と抱負を述べました。
■ 感 想
KNHWOのスタッフは、運営資金が底をつくと、自らの家での仕事(農業)をしながら、ローテーションを組んで、ボランティアで工房を運営しています。地域に根差し、必要な方へ必要な支援を届けるためにスタッフらが向上心と誇りをもって働く姿を目の当たりにしました。KNHWOのような団体が長く存続できるような環境を整える必要性を感じました。
ジョーウィン所長はかつて民族武装勢力に属していました。紛争時には敵対勢力であったミャンマー国軍の元兵士らで、KNHWOの支援を受けた地雷生存者・障害者の数は100人を超えるそうです。停戦後、少しずつ和解が進んでいる様子を感じました。
地雷生存者らとの話を通して、義足が生活の一部として欠かせない必需品だということがひしひしと伝わってきました。彼らの望むこと、家族状況、経済状況は様々なので、柔軟な支援が必要だと思いました。
JCBL事務局だより
❖ 第8回クラスター爆弾禁止条約締約国会議開催
2018年9月3日から5日にかけて、クラスター爆弾禁止条約(通称オスロ条約)の第8回締約国会議がスイス・ジュネーブの国連欧州本部にて開催された。議長はニカラグアのカルロス・モラレス軍縮代表部大使代理。未締約国を含む79ヵ国の政府代表団、国連機関、ICBL/CMCをはじめとするNGOが参加した。会議の概要は以下の通りである。
- クラスター爆弾禁止条約の加盟状況(普遍化)
前会議からこれまでの間に新たに2カ国(ベニン、スリランカ)が批准し、国連への寄託を済ませたことで条約加盟国は103となった。 - クラスター爆弾の除去(条約第4条)
昨年1年間で主にラオス、カンボジア、ベトナムなどを中心に15万3千発の子弾が除去された。 - 保有クラスター爆弾の廃棄
クロアチア、キューバ、スロヴェニア、スペインの4ヵ国が廃棄作業完了を報告した。これまでに33の締約国が破壊を完了し、その結果、合計140万発の親弾と1億7千7百万発の子弾がこの世から消滅している。 - 訓練目的の保有
条約加盟国の多くが、訓練や研究目的でのクラスター爆弾保有を選択していない中、新しい加盟国であるブルガリアやスロバキアを含む13ヵ国がこの目的で一定数のクラスター爆弾を保有している。今回の会議でオランダが貯蔵弾数を大幅に減らしたことは喜ばしいが、逆にカメルーンが6種類のクラスター爆弾を同目的で留保する決定を下したことは極めて遺憾である。 - 被害状況と被害者支援
2017年からこれまでの期間に確認された被害者数は289人。2016年の971人に比べると劇的に減少していることがわかる。最も多くの被害者(187人)を出しているのがシリア、次いでイエメンとなっている。
依然として犠牲者支援への財源は足りていない。クラスター爆弾や対人地雷の除去作業に対しては革新的な資金調達メカニズムが提案され、実施されているが、犠牲者の生活の質の向上、ひいては家族やコミュニティの支援に対しても同様の仕組みを適用し、ニーズに合った活動の量と質を上げていく必要がある。(清水俊弘)